城下町高梁岡山

大正時代町家カフェ 

 

 

Good old days 

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  by  cafe' de beniwo

TSUTAYA図書館と高梁市のまちづくり

 

 現在高梁市には、CCC(TSUTAYA)が指定管理者となる新中央図書館を核とする駅前複合施設の問題がある。その施設の運営、指定管理には、当然ことではあるがメリット、デメリットがあるのだが、税金でやる以上その成果、効果はきちんと説明がなされていなければならないのだが、市長、執行部からいまだに抽象的な説明にとどまっている。

 「賑わいの創出」それ自体なんら異論ないのだが、それをどのように創出していくのか具体的には説明されていない。賛否両論ある中、それを批判のための批判(まちづくりの後退)にならないようにしなければならないし、重要なことではあるが理想論だけではこの町の現状維持ですらままならない。

 高梁市の置かれている非常に厳しい状況を考えると(良いこと悪いこと全部引っ括めての現状の肯定)、それを次の時代へどのようにしてつなげていくのかとても重要なことである(持続的可能な社会の実現)。
 

 彼の帰った後、「悪の陳腐さ」というハンナ・アーレントの言葉が思い浮んだ。ユダヤ人の大量虐殺を指揮した元ナチスの高官の裁判記事から出てきた考え方で、以前大きく報道された食品偽装表示や研究機関などの論文盗用や不正な研究の問題をはじめ、社会や地域の抱えている様々な問題を読み解くうえで有効な考え方だと思う。

 また、彼女は著書「全体主義の起源」で大衆社会の到来が、全体主義を生み出す契機になったと分析している。

 

 「多様性」と「寛容性」の両立。この実現がこれからの地域創生のキーワードになると思う。彼のような「まちを憂う心」や「情熱」が排除されないようにするためには、とても大切な考え方である。「絶対矛盾的自己同一」(西田幾多郎の概念)にあるように、内在する自己矛盾や地域が抱えているジレンマをどのようにして解消(発展的解消)していけばよいのか。「全体の空気(まちの空気)」に対して思考停止状態からいかに脱却していけばよいのか。その方法論として民主主義の根幹である「物事を決める熟議のプロセス」の再認識、再構築がとても重要であると思う。

 

*「悪の陳腐さ」:自分のやっていることの意味を考えない普通の人が、とてつもない災厄を引き起こす

 

ハンナ・アーレント:全体主義や公共性をテーマに思索したドイツの哲学者