「わが日本、古より今に至るまで哲学なし」
これはルソーの「社会契約論」を「民約論」という名前で日本に紹介した中江兆民の言葉である。
今、高梁市は賛否両論のふたつの大きな問題を抱えている。
そのひとつが新中央図書館を核にした駅前複合施設建設とその指定管理(TSUTAYAやT-pointを運営するCCCが管理予定、管理料年間/約1億5千万円、複合施設の内装費、什器(本棚他)、備品、システム等はCCCが請け負う)の問題。もうひとつが健康増進施設旧朝霧温泉「ゆ・ら・ら」の跡地利用の問題である。
兆民のこの言葉の意味するところは、理想の姿や本質的な問題を後回しにして、現実を優先した妥協的思考の政治を憂いている。
「TSUTAYAの指定管理」や「旧ゆ・ら・ら跡地利用」の問題も、この言葉の意味するところの象徴的な問題であると思う。それはその施設のあるべき理想の姿をまず考え、それに近づけていくためには、現実をどのように変えていったらいいのか、私たちはどのように変わらなければならないのかという議論がほとんど皆無だということである。
急激な人口減少や少子・高齢化が進む高梁市。それになんとか歯止めをかけようとするあまり、現実に目をつむり、安易な解決方法へと進んでいるように思われて仕方ない。目先のお金や賑わいが創出できればいいといった考え方である。誰も未来のことはわからない。しかし、未来に対しての責任は今の私たちにはある。安易な妥協はあってはならない。それには多様な議論が必要である。一見、トレード・オフの関係のような問題にみえるが、賑わい、安定した経営と公共性の担保の両立は可能であると思っている。それには市民の皆さんに対しての情報発信と丁寧な説明が必要である。
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