二松學舍大学の広報誌「學」(まなびvol.35)が届きました。
以前、FBでもご紹介させていただいていた[特集]創立者三島中洲の故郷を訪ねて「岡山探訪 倉敷・高梁」が掲載されています。中洲の故郷とその足跡をたどる旅へ、私たちと一緒に出掛けませんかという特集。その企画の中で当店が築100年以上の町家を改装したカフェとして、備中松山城、頼久寺、高梁基督教会や古い町並みなどと一緒に紹介されています(お店で部数は限られていますが、無料配布しています)。
三島中洲は(文政13年12月9日 - 大正8年5月12日)は、備中国窪屋郡中島村(現岡山県倉敷市)出身。江戸時代末期から大正時代の漢学者で、二松學舍大学の創立者。激動の幕末を備中松山藩(現高梁市)で過ごしました。中洲が生まれた当時(1830年)の倉敷は幕府の直轄地「天領」で、中洲の家は古くからの庄屋を務めていました。中洲は、倉敷で初めて四書五経の素読を受けたとされています。
14歳の時に備中松山藩山田方谷の私塾牛麓舎に入り、方谷の門下生となり、儒教を学びます。そして、28歳の時に備中松山藩士に。高梁は、いわば、三島中洲の第二の故郷であり、若き中洲が勉学に励み、その学問の基礎を築いた町でもあります。
また、二松學舍は知る人ぞ知る漢文学、国文学では日本有数の大学で、数多くの国語の先生、研究者を輩出しています。また、歴代舎長には、わが国の近代経済の基礎を築いた渋沢栄一(第3代舎長)、吉田茂元首相(第5代舎長)、顧問に犬飼毅元首相(岡山県出身)などのそうそうたる名前が連なっています。また、塾生として、明治の文豪夏目漱石や明治が生んだ偉大な教育家であると同時に、日本におけるスポーツの発展に功績を遺したことでも知られる嘉納治五郎などがいます。
二松學舍大学HP http://p.tl/0Qjc
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